日本では大量の商品が毎年デザインされ、生産され、そして、そのほとんどが、いつの間にか消えて、使っていた人さえ、その商品を忘れ去ってしまうことが現状です。
一時の流行文化 「次々と消えていく日本のデザイン」
以前、大手飲料メーカーのジュースのパッケージデザインと、開発に関わったとき、手間とお金をかけて、パッケージと味をデザインしました。この商品は、全国のコンビニやスーパーで売られ、ヒットした商品なので、誰でも知っているジュースです。(守秘義務があるので、商品名は書けないのですが)。しかし、数年で売上げは頭打ちになり、リニューアルが決定し、もう、そのジュースは店頭から姿を消し、やがて、皆さんの記憶からも永遠に忘れ去られてしまうでしょう。
日本では、年間200種類を超える飲料が毎年、試作され、発売されています。そのほとんどが、上記と同じ「消える運命」をたどっていきます。デザイナーと言われる人たちは、次々に新商品をデザインしては、そのほとんどが消え去る運命を見ながら、また、新たなデザインに挑んでいます。私もその一人です。
普遍的な価値 「苦難な制約こそ、偉大な芸術家を生み出す条件」
フレスコ画は漆喰が乾くまでに描き上げなければならないため、一発で線を決めて、消しゴムの使えない、「やり直しのきかない」、さらに、「急いで描かなければならない」という、「制約」を持っています。しかし、このやり直しのきかない制約から、集中力と、真剣さが画家の心に芽生え、緊張感とともに、渾身の力作が生まれるわけです。これが、消しゴムが使える鉛筆のデッサンや、じっくり時間を掛けられる油絵と決定的に違う、フレスコ画の特徴です。
そしてのこの制約から、高度な画才が求められ、世界最高と言われるルネッサンス美術の、ミケランジェロや、ボッティチェリ、ラファエロの作品は生まれたと私は思っています。
結婚式とは 「やり直しのきかないフラスコ画のようなもの」
挙式から披露宴の終わりまで、だいたい3時間半です。日本人の平均寿命が82.9歳とすると、人生のなかで、わずか「0.00048%」。まさに、結婚式は人生の中で、まばたきのような一瞬の出来事です。
しかし、その一瞬の出来事が、なぜ、一生の思い出になるのでしょうか?
私は、昔、重度の老人ホームで介護のボランティアをしていたことがあり、そのときの出来事です。
痴呆が進み、家族の顔さえ忘れているお婆さんが、繰り返し、毎日、同じ話を私にしてくれます。それは、自分の結婚式のときのこと、そしてそのときの写真です。
「私はシワくちゃのお婆さんだけど、昔はこんなにきれいだったんだよ」という話です。その写真の中央には、白無垢を着た、真綿のようにキレイな新婦(お婆さん)が写っています。
痴呆が進み、食事も自分で出来なく、家族の顔さえ忘れてしまっても、結婚式のことは、心の一番深い場所に、一番強く刻まれ、一番大切に記憶されています。
結婚式は、人生の中で、まばたきのように一瞬で終わってしまいますが、一生、大切に記憶される、「一生を貫く、一瞬」であり、「大切な一瞬は、一生続く」、それが、結婚式だと教えられました。
問われ続ける 「私は価値がある人間なのか」
私は、結婚式に関わる、ドレスや、アクセサリー、ヘアメイク、ウエディングアイテム、ギフト、料理、デザート、建物、インテリア・・。様々な「モノ」や「サービス」をデザインしています。その、デザインの根幹にある考え方が、この、「一瞬ではあるが、一生を貫く、大切な思い出になるのか?」です。
自分がデザインしたものが、発案したやり方が、本当に良いものか?、その答えは、新郎新婦が人生の最後に思い出してもらえるか? これが自分の存在価値の答えだと思っています。
重い話、最後まで閲読していただきありがとうございます。
Designer : Kazuhiko Tomiyama デザイナー 冨山和彦